きょむ日記

大学中退メンヘラヒキニートの日記。

健常者の生活は理にかなっている

一般的な健常者の生活の様子をリストアップしてみる。

  • 朝早くに起きる
  • 朝食を取る
  • 日光を浴びる
  • 通勤・通学のために運動をする
  • 仕事・勉強をする
  • 人と会う
  • 昼食を取る
  • 帰宅のために運動をする
  • 夕食を取る
  • 好きなことをする
  • 風呂に入る
  • 寝る

大体こんな感じだよね。こうして見てみると人が健康でいるために必要なことがこれでもかというくらい凝縮されていることがわかる。そりゃあこういう生活をしていれば精神的な病気になりにくいのは当然だよなあ。

 

まず、早起き。これはとても重要。どんな本やサイトを見ても早起きの重要性が語られているくらいには重要。個人的な経験からも早起きをすると気持ちよかったり頭がシャキッとすることがわかっている。朝起きて日光を浴びるといい感じの時間に眠くなるらしい。

 

それから食事。きちんと栄養を取らないと心も体も健康にはなれない。健常者的な生活をしていれば当然一日三食食べることになるので健康になる。ヒキニートの僕は一日一食だったりすることも多いので、力は出ないし頭も働かなくて精神的に落ち込むのは確実。

 

運動をするとお腹が減ってきちんと食事を取れるようになるし、ご飯がおいしく感じるようになる。逆にまったく運動していない僕にとって食事は苦痛でしかない。人間が生きるのに食事は欠かせないことなんだけど、これが苦痛ってのはなかなかに不都合。

運動をすると入眠が楽になり、眠りも深くなるので朝起きたときにスッキリするんだよね。今の僕はろくに疲れることもしていないのに起きたときの気分や体調はすぐれない。寝るのに数時間かかるし、12時間くらい寝ているから体がだるかったり痛かったりする。体は疲れてないんだからそんなに寝る必要はないし、起きたときにスッキリしていてくれればいいものなんだけど、人間の体ってのはそうはいかないみたい。健康でいるためには運動しなければいけないんだね。省エネモードで生きさせてほしいなあ。

運動のもう一つのメリットは体力がつくこと。体力のあるなしってのはすごく大きい。通勤・通学以外で体を動かすことがない人は自分には体力があるとは思わないだろうけど、実際にはものすごい体力の持ち主なんだ。僕は1年3か月引きこもっているんだけど、そうするとびっくりするほど体力が落ちるんだよね。10分間歩くだけで足が痛くて足をひきずって歩かなければならなくなるし、ちょっとした階段の昇り降りで息切れする。たまに友達と遊んだりすると数日間はぐったり。日常生活を送るのにいかに体力が必要かよくわかったよ。だから、日常生活を普通に送れている人はそれだけの体力があるってこと。体力がないと何をするのも大変で億劫になってしまう。やりたいことがあってもできない。そんなふうにしてなんにもできなくなっちゃうと生活がびっくりするほどつまらなくなる。つまらないとメンタルがヘラってくる。メンタルのためにも体力は必要。

 

仕事や勉強などやらなければならないことがあるのはいいこと。人間ってのは怠惰な生き物だから強制されなければ何もやらなくなってしまう。おそらく大半の人は仕事や学校がなければ早起きしないし運動もしないんじゃないかな。でもそれじゃあ不健康真っ逆さま。それに、仕事をしないと時間が有り余ってしまう。趣味に時間を費やすにしても限度があるよね。ずっと同じことをしていると飽きてきて段々それが好きじゃなくなってしまう。時間がいくらでもあるからなんとかして時間をつぶさなければすぐに退屈に陥ってしまう。退屈は嫌だから退屈から逃れるために必死になって何かをしなければならなくなる。そうすると趣味が退屈から逃れるための手段になってしまってつまらなくなる。常に退屈を恐れ、「何かをしなければ」という強迫観念につきまとわれるようになる。これらはヒキニートの僕の経験談ね。趣味は仕事の合間にやるからいいのであって、趣味一辺倒になったら楽しさは半減する。健常者は退屈の恐ろしさをあまり知らないだろうけど、ヒキニートになると嫌というほど思い知らされる。人間は長時間の退屈には耐えられないんだ。本当に地獄のような苦しみだよ。パスカルも『パンセ』でこんなことを言っている。「情念もなく、職務もなく、気ばらしもなく、勉励もなく、まったく休息しているほど、人間にとってたえがたいことはない。そのとき彼は、自分の空しさ、やるせなさ、物足りなさ、頼りなさ、力なさ、つれなさを感じる。かれの魂の奥底からは、たちまち倦怠、憂鬱、悲しみ、悩み、恨み、絶望がわきあがるであろう」(参考URLhttp://哲学.jp/philosophy215.html)。どうして人間は退屈に耐えられないんだろうねえ。猫なんてぼーっとしていても平気そうなのに。

 

人と会って話をするのは精神衛生的にはとてもよいことのように思われる。もちろん気の合う人とだよ。たわいない話でも何でもいい。人と話すとスッキリとした気分になったりテンションが上がったりすることが多い。人と一緒だと疲れるし、気を使ったり考えないといけないことが出てくるけど、それでも家に一人ぼっちで孤独に陥るよりはいくぶんかいいだろう。孤独と退屈はメンヘラの敵だね。本当に調子が悪いときは人と会うことはできないんだけど、人と会えるくらいにまで回復してきたのなら徐々に交流を増やしていくといいのだろうと思う。調子の悪いときにそばにいて支えてくれる人がいるとなおいいね。孤独でないだけでもかなりの救いになると思う。

 

とまあ、いろいろと書きなぐってみたけど、健常者が健常者たり得ているのはその生活様式によるところもずいぶんと大きいんじゃないのかなあ。メンヘラヒキニートの僕は健常者の生活を見習わなければいけないね。ただのヒキニートならなんとか努力できると思うんだけど、メンヘラのせいでいろんなことができなくなってしまった。メンヘラを治すためには体調から整えていかなければならないんだけど、メンヘラゆえにそういうことができない。体調が悪化するとメンヘラも悪化する。この負の連鎖から抜け出すにはどこかでなんとかしないといけないんだけど、どうしてもそれができない。健常者的な生活を送ればメンタルがよくなることはわかっているんだけど、やっぱりできないんだよねえ。どうしたらいいんだろうね。一人でどうにかなるってのはかなり厳しそうだなあ。メンヘラが治るのが先か死ぬのが先か。

 

 

生活習慣病としてのうつ病

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