きょむ日記

大学中退メンヘラヒキニートの日記。

生きる意味について

生きる意味について誰しもが一度は考えたことがあるのではないだろうか。一度も考えたことがないよって人はよほど脳天気なのだろう。人生が楽しそうで羨ましい限りだ。いや、もしかしたら生まれた時からあまりにも厳しい環境下に置かれていたせいでそんなことを考える暇がなかったのかもしれない。そしたらお気の毒様。でも、そうそうそんなこともあるまい。

 

生きる意味って何だろう

生きる意味についてあれこれと思考を巡らして辿り着いた答えが「生きる意味なんてない」というものだった人は多いのではないだろうか。「私のようなダメ人間には生きる意味なんてないんだ。生きる意味がないのに生き続けるなんて無意味じゃないか。こうなったら死んでやる!」こんな思考に行き着いた人もいるかもしれない。生きる意味について考える時なんて大体ネガティブになっているものだから極端な発想をしてしまう可能性が高い。まあ、ちょっと落ち着いてくださいな。あなたが真剣に悩んでいる生きる意味とは本当のところ何なのか考えてみよう。

 

意味に囚われる

その前にあなたの現状について少し分析しておこう。あなたは自分には生きる意味がないことに絶望し自殺しようとしている。逆に言えばあなた自身に生きる意味があれば絶望なんかしなかったし自殺なんて脳裏に浮かぶことすらなかったであろう。生きる意味がないことに絶望したのであれば、これもまた裏返せば生きる意味というものに多大な希望を抱いていたということになる。それこそ生きる意味の有無があなたの生死を分けるほどに。いったい生きる意味にどれほどの価値があるのであろうか。生きる意味は人の生死を操るだけの力を持っているのだろうか。

 

人をナイフで刺せば殺すことが可能だ。金属バットで頭を殴ってもいい。戦車で正面から突っ込んでもいい。人を殺すことのできる物はこの世に溢れている。では、人を殺すことのできるほどの力を持った生きる意味ってどこにあるんだろう。お察しの通りあなたの頭の中だ。あなたはあなた自身が創り出した思考という名の幻想に殺されそうになっているのである。

 

「なーんだ相手は実体のない幻想か。それなら恐れる必要はないしいくらでも対処の方法はあるさ」なんて事が簡単に進めばありがたいのだが、そうでないのはあなたならとっくにわかっていると思う。思考は強い。あまりにも強い。思考の前では物などちっぽけなものだ。思考が常にハッピーならあなたを喜ばせる物の存在などなくてよい。あなたを喜ばせる物が目の前に山積みになっていてもあなたの思考がネガティブならまったく嬉しくない。思考が先で物が後。あなたの思考が物を受け入れる準備ができていないのなら物に存在価値などないのである。

 

少し脱線してしまったが、これから論じる意味も思考に属する概念であるからなかなかに手強い敵となるであろう。

 

意味とは何か

生きる意味それ自体を扱う前にまず「意味」とは何なのかについて定義しておかないといけない。といっても、本当に意味について定義することなんてできない。哲学者たちが何十年何百年とかけても無理だったのだから。そもそも言葉に厳密な定義を与えることが不可能なのだ、という僕の意見はとりあえず置いておいて、普段の我々の「意味」という言葉の使い方から「意味」の意味について考えていこう。〈「意味」の意味〉という表現が出てきた時点ですでに色々と怪しいw (かぎかっこ付きの「意味」がこれから語ろうとする「生きる意味」の「意味」でかぎかっこなしの意味が辞書的な意味)

 

辞書を引いてみると「意味」にはたくさんの意味があるが、「生きる意味」における「意味」の用法としては「ある表現・作品・行為にこめられた内容・意図・理由・目的・気持ちなど」(大辞林)が相応しいだろう。我々が「生きる意味」について語る時、おそらくその言葉に含まれているのは理由目的であろう。「どうして私は生きるのか」「何のために私は生きるのか」少なくとも僕の場合はこんなことを考えている。それから、価値も含めてよいのではないか。「私が生きることに何の価値があるのか」「私みたいな人間なんていてもいなくても同じじゃないの?」こういう思考もあるだろう。

 

意味を求める

あなたは生きる意味に執着している。生きる意味という名の幻想に囚われている。つまるところあなたは人生に理由や目的、価値などを求めているのである。「 私はなぜ生きなければならないのかその理由が知りたい」「私は何のために生きているのか」「私の人生に価値などあるのか」こんなことをグルグルと考えている。あなたは答えが欲しい。説明が欲しい。「あなたには価値があるのよ」と言われて安心したい。

 

あなたは自分が望んでもいないのに突然この世に生み落とされて右も左も分からない。おまけに現状は苦しいと来た。「どうして私は理不尽にも苦しまなければならないの?」これがすべての発端である。苦しいから苦しさの理由を知りたがる。苦しさの理由がわかろうがわかるまいが思考は自ずと自分という存在について、あるいは世界や人生それ自体に対して向き始める。あなたが生きる意味を探し始めたのなら、あなたはすでに長い間苦しんでいるのである。おそらく、あなたの苦しみを取り除くことができたならば生きる意味への問いは解消するであろう。しかし、苦しみを取り除くことは容易ではない。となればやはり生きる意味それ自体に向き合うことが当座の課題となろう。

 

生きる意味など存在しない

生きる意味 を探し続けてきたあなたにこの結論を突き付けるのがいいのか悪いのかはわからない。探しものが見つからなくてがっかりするかもしれない。でも、生きるのにそんなに肩肘張らなくていいんだとリラックスして生きられるようになるかもしれない。これで楽になる人がいたら嬉しい。

 

生きる意味など存在しないとはどういうことか。言葉を変えて言うと、生きる理由や目的、価値などは端から存在などしていないということである。

 

あなたという人間はあなたの両親がセックスをして生まれた。ただそれだけ。それ以外に何もない。その辺の動物や植物と同じ。交尾をしたり種が地面に落ちたから生命が誕生した。それ以外の何物でもない。生まれたのがあなたである必要すらなかった。たまたまあなたの元になった精子が一番乗りだっただけで、他の精子が代わりに受精したってよかった。そうしたらあなたは生まれなかった。あなたの代わりに別の人間が生まれていた。あなたの意識も自我も発生することはなかった。「他でもないこの精子が受精してあなたが生まれたのにはきっと素晴らしい巡り合わせがあるのよ」なんてクソみたいな理屈はどうだっていい。たまたまそういう結果になっただけ。すべては偶然。あなたは神から命を授かった天界よりの使者でも何でもない。どこにでもいる生物の一個体。生きる理由も目的も価値も何にもない。この世のどんな人間にもそんなものは存在しないんだ。だからそんなに悩む必要はない。もうちょっと気楽に行こう。

 

生きる意味を創り出す

そんなことを言われたってどうしても気楽になんて生きていけないよという人のために。「人生それ自体」に意味がないのならば「人生の内側」で意味を創り出してあげよう。 生きる意味について悩むことのない人間はおおよそ人生の内側で彼らなりの生きる意味を創り上げているのである。

 

人生それ自体を枠組みにして考えるのは止めて人生に登場する人物や物事にフォーカスを当ててみよう。好きな人や好きな物事は何かないかな?もしあるのならそのためだけに生きる、それでいいんじゃないかな。「人生は楽しんだもん勝ち」なんて言葉を聞いたことがあると思うけど、人生それ自体に何の意味もないのだからまさしくその通り。楽しいだとか幸せだとか充実しているとかそういうのが人生において最も重要だと思う。嫌なことは遠ざけてなるべく楽しいことだけをする。もちろん時にはどうしても避けて通れないこともあるだろうけど、それ以外の嫌なことや気が進まないことは徹底的に遠ざける。

 

もしあなたに大切な人がいるのならば、その人やその人たちがあなたの生きる意味になってくれるだろう。人じゃなくてスポーツでもいいし仕事でもいいしアニメのキャラクターだっていい。あなたが本当に好きなものを見つけるとかなり生きやすくなると思う。

 

何事も楽しめなくなった、常に希死念慮で頭がいっぱいだなんて場合には生きる意味を創り出すことなどできないので早めに病院に行きましょう。

 

さいごに

色々と綺麗事を書きましたが、僕がブログに書くことは僕が本当に思っていることとは限りません。こんなのネットをやっている人なら常識でしょ?あえて極論を書くこともあります。今日と明日とで言っていることが真逆になることだってある。今日の文章だってセルフセラピーみたいなところがある。僕自身は生きる意味などないという結論に落ち着いているので生きる意味探しはしないが、人生の内側で生きる意味を創り出すことができていない。好きで仕方ない趣味はないし恋人だっていないし家族は好きではないし毎日希死念慮で頭がいっぱいだし。正直どうしたら生きたいと思えるようになるのかさっぱりわからない。誰か僕を助けてください。どうやって助ければいいって?そんなの僕にもわからない。どうやって助かればいいんだ?

 

最後に僕の好きな中島義道先生の著書を置いておきます。 タイトルが直球でいいでしょ?

人生に生きる価値はない (新潮文庫)

人生に生きる価値はない (新潮文庫)