きょむ日記

大学中退メンヘラヒキニートの日記。

出産は悪である

前にTwitterで何回か語ったことがあるけれどもTwitterはまとまった文章を書くのに向いていないしすぐに埋もれて自分でもどこに行ったかわからなくなるのでブログに書き起こそうと思います。これからも過去にTwitterで語ったことを記事にするかもしれません。本当は過去のツイートを遡ってまとめたいところだけどあまりにも面倒なので頑張って考えながら書きます。

 

「生む」と「産む」

人間を「うむ」という時に「産む」と書くのが普通だが、それだと出産にフォーカスを当てた表現になるので「生命を創り出した」という意味を込めてあえて「生む」という表現を使おうと思う。「産む」のは一瞬で終わっても「生む」のはその後何十年にもわたって持続することになるからね。

 

出産という行為について

端的に言えば僕は出産は悪であると考えている。現代日本は少子化で大変なことになっているのに何を言っているのかと思われそうだが、今回の話題は社会的なものではない。僕は自分の生を生きるのに精一杯なので社会のことなどどうでもいいのである。僕の関心はもっぱら僕自身にあるのだ。(とはいっても老人コノヤローとは思うけどねw)。今回の話題にあたっては視点を生まれた子供自身に当てて子供にとって出産は悪であるという方向で話を進めたい。

 

僕は間違いなく出産は悪であると考えているんだけど、僕以外にそう考えている人に出会ったことがない。Twitterでもこんなことを書いている人は他に見当たらない。何でなんだろ?理由はよくわからない。僕のフォロイーに親のことが嫌いな人が何人かいるけれども、彼らは親の不満や生まれてきたくなかったことなどをこぼすだけで出産それ自体について言及はしない。すでに生まれてしまったから過去のことなどどうでもいいということであろうか。確かに生まれてしまった以上、過去に戻って出産を取り止めることなどできないけれども、僕はどうしてもこれを言っておきたかった。「生まれてきたくなかった」「どうして僕を生んだのか」から一歩進んで「出産は悪である」と言わなければ気が済まなかった。出産について何も考えたことがなかった人、子供は欲しいけど生まれてくる子供の気持ちを考えたことがなかった人にも一度この問題を考えてほしかった。本当に子供を生んでいいんですか?生まれてくる子供が喜ぶとでも思っているのですか?出産はあなたのエゴじゃないんですか?

 

出産を決意する時、あなたはどんなことを考えますか?お金のこと?教育のこと?家庭のこと?生まれてくる子供の気持ちを考えたことある?どんな子に育てたいかだけじゃなくて本人がどんな子に育ちたいか考えたことある?考えたことないでしょ?出産をしようと決めるのは誰?そう、夫婦でありこれから親になるあなたたちだよね。子供の意志はどこ?どこにもない。出産をすることによって最も大きな影響を受ける本人の意志は完全に無視されている。そりゃ当然といえば当然。まだ本人が誕生していないんだから相談しようがない。出産するかどうかは夫婦が二人きりで決めるしかない。こればっかりはどうしようもない。だからこそ出産によって最も大きな影響を受ける本人の意志が不在の上で子供を生み出すことの持つ意味の大きさをもう少し考えてほしい。あなた方は無責任にも自分たちのエゴにより新たな生命を誕生させようとしているのだ。本当は生まれなくてもよかった生命を。

 

出産という罪

「子供が生まれたら充分な教育を与える準備はあるし金に困ることもない。だから決して無責任ではないのだ」。違う、そういう問題じゃない。一度生み出した生命をなかったことにはできない。もう取り返しが付かないのである。人を殺したら取り返しが付かないからこそ殺人が最も重い罪とされるのと同様に人を生んだら取り返しが付かないのである。この殺人罪に匹敵する重さである。あなた方は生命を生み出してしまったことに対してもはや何らの申し開きをすることはできないのである。

 

生まれてくる子供がどのように育つかは決して誰にも予想できない。もしかしたら不幸になって「死にたい」とか「生まれてきたくなかった」とか思うようになるかもしれない。そうなってもあなた方は責任の取りようがない。あなた方が子供を生まなければこんな風に子供が苦しむことはなかった。あなた方は悲しみを感じることのできる人間である「悲しみの主体」を生み出してしまったのだ。この罪は悲しみそのものを生み出すより遥かに大きな罪である。これから子供を生むつもりの人間はこのことをよく考えてほしい。すでに子供を生み出してしまった人間は己の罪を深く心に刻み付けてほしい。

 

世論の欺瞞

小学校で両親に対する感謝状を書かされた記憶がある。「生んでくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」。僕は生んでくれと頼んだ覚えはない。「お母さんが私を生んでくれたおかげで私はたくさんのことを経験することができた」なんて文句を聞くことがしばしばあるが、これはまったくの欺瞞である。あなたの誕生以前にあなたの意志は存在しないのだからあなたは自らの誕生を願うことなどできないし、母親があなたを出産しなかったからといってあなたは「たくさんのことを経験することができなかった」と悔しがることもできないのである。小学生のうちから親にとって都合の良い価値観を子供に教え込むとはこの世の道徳とやらはなんてひどいのだろう。

 

親孝行だってそうだ。親孝行なんてする必要はない。だって親が子供を勝手に生み出したのだから。勝手に生んでおいて親孝行しなさいだなんてなんて都合がいいんだ。あなた方は子供を生み出したのだから子孝行をするのが道理ってもんだろう。子供を育てるのは当たり前。それもよい環境でね。そして子供がどんな状態になっても面倒を見る。子供が死ぬまで生活するのに充分な金を用意しておく。逆に言えばそれだけの準備をして初めて子供を生んでよいことになると僕は考えている。だってそうでしょ?自分たちが勝手に生み出した生命なんだから最後まで面倒を見るのが当然でしょ。そんな当たり前のことすらわからずに「親孝行しろ」だなんて頭がいかれているとしか思えない。「子供は親孝行をすべきである」なんてクソみたいな価値観など捨ててしまえ。「親は子孝行をすべきである」。これからはこっちの価値観に乗り換えだ。勝手に生まれさせられたんだ。それならせめて自分に都合の良いように生きようじゃないか。どうして親に都合の良いように生きなきゃならないんだ?まったくおかしな話だろう。

 

いかにして親と付き合うか

アダルトチルドレンとか毒親とかいう言葉を聞いたことがあるでしょ?僕がまさにそう。フォロワーの中にもいるよね。もしあなたが経済的に自立できるだけのお金を稼ぐことができたらすぐにでも家を出て毒親との関係を絶とう。あなたが苦しむ必要はない。親孝行なんてしなくていい。親など見捨ててしまえ。そのことに後ろめたく感じる必要はない。あなたはあなたの人生を生きる必要がある。嫌なことはなるべく避けて自分が楽しいように生きよう。

 

あなたが親を好きならば存分に親孝行をすればいい。親の喜びがあなたの喜びになるだろう。それでも間違ってはいけないのは「親孝行は義務である」と考えること。あなたに親孝行をする義務はない。あなたは好きで親孝行をしているのである。それさえわかっていれば何も問題はない。

 

さいごに

僕は毒親持ちのアダルトチルドレンなんですが、ニートなわけで経済的自立なんてとてもじゃないけどできない。アダルトチルドレンに関する書籍を読んだことのある人ならわかると思うけど、一番いいのは親から離れることなんだよね。もうすぐ24歳になるのにもかかわらず自分の部屋はない。僕がいるのはリビングから続く空間。そこに机があってパソコンなりスマホなり僕の所有物を置いている。この机が僕の空間。大体一日中机の前に座っている。プライバシーなんてあったもんじゃない。常に親の監視下にある。母親は専業主婦だし大体リビングにいるし。休息の時間なんてない。常に人の目を気にしている。僕はアニメが好きなんだけど家族の前で見る気にはなれない。一人になりたい時にもどうすることもできない。寝るときは寝室で父親と一緒に寝ている。臭いしいびきがうるさい。家を出ていけるならば早いところ出て行きたいが、どうしてもまだ働く気にはなれない。毎日が苦しみでいっぱいだ。せめて個室が与えられていれば少しは苦痛が軽減されるのになあ。働く目処が立たないしこれからも生きるとすれば数年は苦しみ続けるのだろう。一人暮らしあるいは女性との同棲がしたいもんですな。そんな未来は訪れることやら。