きょむ日記

大学中退メンヘラヒキニートの日記。

自意識過剰の治し方

これもaskから。

 

自意識過剰を治すにはどうすればいいと思いますか?

 

昨日ツイートしたように、物事に取り組むことだと思う。自分のことを見つめる時間を減らすべき。

 

自意識過剰で苦しむのって他者の視線を気にしているからなんだよね。解決先としては、他者の視線が気にならないようになるか、他者からの視線を都合よく解釈する、というのがあるのではなかろうか。

 

前者は自意識の働きが過剰になる前に抑えるというもので、最初に書いたように目の前の物事に取り組んだり、自分の価値を認めてくれる人や場所に出会ったりすることで達成できる。

 

自意識過剰でどのように苦しむかを想像してほしいんだけど、それらの苦しみはどれも自信のなさに由来するものじゃない?少なくとも僕の経験ではそうなんだけど。「他人から「恥ずかしい奴だ」と思われないかしら」という悩みを抱くのは、自分の良い面だけ人に見せて、悪い面を隠しておこうという心理の現れ。素の自分に自信がないからそうなる。だから、自分を認めてくれる人や場所に出会えば、自分で自分を認めてあげられるようになって、他者からの視線にビクビクすることはなくなるんじゃないのかな。

 

後者はナルシストの考え方だけど、自意識過剰でも苦しまなければいいわけじゃない?「オレ、かっこいいだろ?」と自画自賛していれば、それで満足。他者からの評価を自分に都合のいいようにねじ曲げて解釈してしまう。ダサい奴からの評価は聞くに値しないとして切り捨てたり、自分に嫉妬しているからそんなことを言うのだと解釈してみたり。無敵じゃない?

 

とはいえ、そう簡単にナルシストになれるものでもないし、自分を認めてくれる人や場所に出会えるわけでもないので、前者と後者のハイブリッド的な解決策を提示してみようと思う。それは、自分の中に評価基準を作ること。この評価基準は他者と比較しやすいものではいけない。たとえば、顔面偏差値を基準にしてしまうと、外に出れば比較対象だらけだし、上を見たらキリがない。しかも、顔面偏差値を後天的に向上するのは難しい。評価基準はなるべく他者と比較のしづらいもの、特に自分だけのものであるとよい。「孤独な哲学者」なんかいいんじゃない?引きこもってひたすらに哲学していれば、自分の理想に近づける。「配偶者の良きパートナー」ってのもいいね。「この人」のパートナーは自分しかいないから、他者と比較しようがない。「ペットの飼い主としてどれだけ愛情を注げるか」ってのも個別的でよい。

 

このように、自分独自の評価基準を持つことで、他者からの評価を気にする必要がなくなる。自分の内にある評価基準を参考にし、自分との対話を行うので自意識の働きは活発になるかもしれないが、四方八方から否定される可能性を排除できるので気は楽になるだろう。また、他者の評価はコントロールできないし、個人によってあまりにも異なるために当てにならないが、自己評価ならば目標も到達度も明確にわかるため、惑わされることもない。ニッチな分野で邁進し、自信をつけたら苦しむことも減るんじゃないかな。他者から評価を受ける場への挑戦はそれからでもいいと思う。

 

自意識過剰に苛まれるのは自信がないから。どんな方法でもいいから自信をつけることがこの問題の解決策になると思う。

 

僕はここに挙げたどの方法も取ることができていないし、反論や問題点を挙げることができてしまうんだけど、一般的な解決策を書くならこんな感じなのではないか。僕はその前段階でつまずいているが、そのつまずきをどのように解消すればよいかはわからないので、今回の解決策の提示はここまでにとどまっている。