きょむ日記

大学中退メンヘラヒキニートの日記。

6月になりました

速いもので今年ももう6月です。本当に速い。「光陰矢のごとし」とはこのことを言うのかというくらい時の経つのが速いことを実感しています。

僕は今年に入ってから何をしていたのでしょうか。記憶の糸を手繰り寄せてみます。う〜ん。糸が何かに引っかかっているようですね……。びっくりするほど何も覚えていません。覚えていることといったら大学を中退したことと病院に通い始めたことくらいでしょうか。それ以外の時間はいったい何をして過ごしていたのでしょうか。自分でも恐ろしくなるくらいに何もしていなかったようです。

 

ヒキニートの生活とはひどいもので、僕の場合には半日ほど眠って過ごし、起きてからはぼんやりとした頭でアニメを見たりテレビを見たりゲームをしたりしていました。昼夜逆転していた上に睡眠の質も非常に悪かったので、頭も体も使いものになりませんでした。そんなんじゃろくに何もできないのも当然ですね。

あり余る時間をいかにして潰すかにただ苦心していました。退屈ってのは苦痛なんですね。退屈から逃れるためには何かをする必要があるのですが、僕にはたいしたことができませんでした。気力もなければ物事に対する興味も失っていたからです。おまけに何をしても楽しめない。八方ふさがりでした。

抑うつ症状がひどい時にはベッドの上でひたすらTwitterを眺めていました。別に楽しくも何ともありません。ただ流れてくる情報を処理するだけ。それでも何もしないよりはましでした。脳が情報という刺激を欲していたのでしょう。まったく厄介なものです。何もすることがないのならば、退屈を感じさせずに過ごさせてくれればよいものを。

犬や猫は起きている間、食事以外にすることなどありませんが、退屈に苦しんでいるようには見えません。なんて羨ましいのでしょう。人間の脳は進化しすぎてしまったために、退屈には耐えられなくなってしまったのでしょう。これは進化と呼べるのでしょうか。僕にはありがた迷惑な進化であるようにしか思えません。ですが、ぼーっとしている時間を有効活用できたからこそ人間はここまでの文明を作り上げられたのでしょうね。人間は向上心の塊なんですね。

自堕落な僕は人間としての本能に責め立てられているのでしょう。暇な時間を穏やかに過ごさせてくれないとはなんと酷いのでしょう。これじゃあ、科学技術が発達してあらゆる雑事をロボットがこなしてくれる未来が訪れたとしても、人間は何もせずにはいられないではないですか。皆が必死になってレジャーに励まなければなりませんね。きっとその頃にはスポーツが流行るのではないでしょうか。体を動かさなければうつ病になってしまいますものね。いや、もしかしたらその頃にはうつ病に対する画期的な治療法や予防法が確立されているかもしれませんね。あるいは、副作用なしで常に幸福な気持ちでいられる薬が開発されるかもしれません。未来はどうなるか想像できませんね。

ずいぶんと話が横道へとそれてしまいました。ヒキニートの残念な生活に話を戻しましょう。

 

ヒキニートの生活はおよそ人間のものとは思えないほどに堕落しきっています。「人生は死ぬまでの暇つぶし」とは言いますが、それにしたって暇つぶしの中の暇つぶしに時間を費やしているようでは困ったものです。暇つぶしなど所詮は暇つぶしにすぎないのですから、それによって人生が豊かになることなどありませんね。暇つぶしは暇つぶしにするからいいのであって、起きている時間すべてを暇つぶしに捧げるなど、本来馬鹿げた話です。人間の脳は暇つぶしで満足できるほど単純ではないのです。暇つぶし以外の活動をできるのならば、それに励むべきなのです。

とはいえ、僕はただのヒキニートではなくメンヘラヒキニートですから、事はそう簡単には行きません。上記のことなどわかってはいますが、メンヘラではどうしようもありません。退屈ではありますが、何もしたくないのですから。何もしないと脳の働きが低下してどんどん悪い方へ転がっていくのは目に見えているのですが、何もしないという選択肢以外を取ることができないのです。メンヘラとは難儀な生き物です。一応補足しておきますが、僕が言う「メンヘラ」とは「精神を病んでいる人全般」のことを指します。僕の書いた文章を読む上でその解釈では都合が悪ければ、「僕のような病み方をしている人やその状態」のことだと解釈しておいてください。

 

大人になると時の経つのが速く感じますね。理由はいくつかあるようですが、その中でも大きな理由として挙げられるのは新しい物事に出会うことが少なくなることではないでしょうか。僕たちは大人になるまでに様々な知識や経験を獲得しますね。そのため、僕たちが大人になってから出会う物事の多くはすでに経験済みであり、新鮮さを感じることがありません。脳が慣れてしまって新鮮さを感じることがない場合には時間が短く感じられるようです。

僕がこの1年半ほど送ってきた生活は同じことの繰り返しですから、当然そこに新鮮さはありません。アニメの内容は作品によって異なりますが、アニメを視聴するという体験自体にそれほど差はありません。画面に映し出された絵を眺めるだけですからね。Twitterだって同じようなものですね。

 

時の経つのが速いと「何もやっていないのにもうこんなに時が経ってしまった」と焦燥感や自責の念に襲われますね。どこにも所属せず、文字通り何もしていないヒキニートにとってそれはひどく恐ろしいものです。ヒキニートでいる期間が長ければ長いほど社会復帰が難しくなりますから。働きたくはありませんが、それでも働かなければならないことはわかっています。親が健在のうちはニートを続ける覚悟ができているのならば話は別ですが、それはそれで茨の道ですからね……。働かずに金が入ってくるなら最高ですが、そう上手くは行かないでしょう。

 

何もしないということは実に恐ろしいことですから、何かができるのであればやっておきたいところです。たとえそれが社会復帰に直接役立つことではなくとも、日々の生活が充実し、時の経つのが遅く感じられるのならば。

僕はブログを再開しましたが、これは新鮮味があっていいです。アニメやテレビと違って能動的に取り組む必要がありますし、Twitterと違って創作性が強く、書き終えた時には達成感と充実感を味わうことができ、自己肯定感にもつながります。頭を使わないと抑うつ状態に陥りますから、それを防ぐ意味でも頭を使って文章を書くことはよいのではないでしょうか。何もやることがなく退屈に苦しむことから逃れることもできます。ブログを書くのは大変ではありますが、何かやることがあるというのは精神的に救われます。できる限り続けていきたいものです。