きょむ日記

大学中退メンヘラヒキニートの日記。

Twitterをやめた理由とTwitterをやめてみてわかったこと

お久しぶりです。きょむです。

前回の更新からしばらく間が空いてしまいました。

熱しやすく冷めやすい僕らしい更新頻度だと自分でも思います。

 

さて、今回は表題の通りTwitterをやめてみてわかったことについて書いてみたいと思います。

 

僕のTwitterの使い方

本題に入る前に僕がTwitterをどのように使用していたかについて説明しておこうと思います。

 

2010年1月にアカウントを作成しそれから数年間は学生時代の知り合いたちとのコミュニケーションツールとして主に使用してきました。他には気になる有名人をフォローして時々流れてくるツイートを見たり、まとめサイトをフォローして二次元関連のニュースや時事ネタを仕入れたりしていました。2014年4月にバイトを辞め、完全なるメンヘラヒキニートになると、人との交流がなくなって寂しくなったのと、自分と同じように苦しんでいる仲間を見つけたかったという理由でメンヘラの方々をフォローし始め、やがて交流を深めていくようになりました。

 

Twitterをやめた理由

結論から言うと人間関係が嫌になったからです。

以下、具体的な理由を説明していきます。

 

アカウントの使い方を間違えた

僕はメンヘラの方々をフォローする前からリア垢でメンヘラツイートをしていました。普通、リア垢でメンヘラツイートをするとリア友から嫌がられるわけです。僕もそれはわかっていたとは思うのですが、話し相手がいなかったので誰にも相談できず、心が限界を迎えてTwitterに吐き出さずにはいられなくなったのだと思います。

 

段々とメンヘラツイートをすることへの抵抗が薄れてメンヘラツイートの数が増えてくると、メンヘラの方々をフォローするために新しいアカウントを作成するのが、これまでに書き溜めたメンヘラツイートを捨てるようでもったいなく感じました。また、ネガティブな内容だけれどもリア友たちに見てもらいたかったという気持ちもありました。そのため、リア垢のままメンヘラの方々をフォローすることになりました。

 

リア垢とメンヘラ垢を一緒にすると面倒なことが起こります。メンヘラの方々は当然メンヘラツイートをたくさんツイートしているので、彼らをフォローするとTLがメンヘラツイートで溢れかえります。すると、メンヘラツイートに対する耐性ができてきてメンヘラツイートをするのが当たり前のような気持ちになってきます。みなさんはメンヘラ垢ですので現実世界では決して言えないこともバンバンツイートしていますが、僕はリア垢なのでリア友に対する配慮をしたりリア友の目に移る自分の姿を気にしなければなりません。しかし、リア友(友達未満の知人も含む)の多くはすでに現実世界での交流が途絶え、今後も交流することはないと思われる人々ばかりだったので、彼らに配慮する気持ちや自分の姿を気にする気持ちが薄れていました。その結果、彼らへの批判と取られても仕方ないようなツイートをしてしまったり、あまりにも情けない姿をさらしてしまったりしました。「どうせもう関わることはないだろうしいいか」と思っていたのですが、やはりかつて一度は面と向かって話をしたり同じ時を過ごしたりした人々の目が気になりました。これまでも彼らの目が気になることはしばしばあったのですが、今回それが爆発して「僕は嫌われているのではないか」「僕は馬鹿にされているのではないか」「おそらくほとんどの人にミュートされているのだろう」と疑心暗鬼・人間不信に陥ってしまいました。

 

リア垢とメンヘラ垢は分けておくべきだったのだと思いますが、僕はリア友にツイートを見てもらいたい気持ちが強かったので、おそらくそうすることはできなかったのだと思います。

 

メンヘラの方々との人間関係

ヒキニートになってリア友との交流がなくなり、寂しくなった僕はメンヘラの方々との交流を望むようになりました。あわよくば仲良くなって現実世界で会って友達になれればいいなと思っていました。しかし、ネットの人間と仲良くなることは想像以上に難しいことでした。

 

メンヘラの方々の抱える症状や問題は似ていることが多いため、僕は彼らに親近感を抱いていました。ツイートを見ていると自分と似たような人がいることに安心感を覚えました。現実世界に居場所がなかった僕にとって、Twitterは大切な居場所でした。健常者ばかりの現実世界は生きるのにはあまりに過酷な環境でしたが、ここなら僕のような人間でも排除されずに済むと思いました。実際、排除されることはありませんでしたし、僕のことを好いてくれる人も結構いました。

 

しかし、僕はTwitterでも上手くやっていくことができませんでした。画面の向こうにいる人のことを理想化しすぎていたために、ひとたびそれが崩れると脱価値化が起こって相手のことが嫌いになってしまうのです。まったく自分勝手なものです。相手を傷つけないためにも自分を守るためにもネットの性質をもう少ししっかりと捉えておくべきでした。

 

高校や大学など偏差値で学生が選別される環境では周囲には知能や知識、経済力や生育環境などの点において自分と似たような人間が集まる傾向にありますが、ネットではありとあらゆる人間がごちゃまぜになっています。

 

自分と合う人間を見つけようにも、頼れるのは文字情報だけですから、なかなか上手くいきません。現実世界では目の前の人間の性質をファッションや表情や喋り方などから推測することができますが、Twitterだとそれができません。

 

文字情報だけを頼りに自分と合いそうな人を見つけても、そのうちに「ここはちょっと合わないな」と思うことが増えてきます。Twitterのメンヘラの方々は自分の内面をつぶさに書き記すので、僕とは合わない考え方を見かける確率がそれだけ高くなります。「この人とは合いそうだ」と思った人の嫌な一面を見かけるたびに裏切られたような気持ちになり、過去に好いていた分だけ嫌いになってしまいました。そんなことを何度も繰り返してTwitterの人間と仲良くすることはできないという信念が強まっていきました。

 

今の僕には心の余裕がないので自分と同じような人間以外許容できない状態です。他人に少しでも嫌なところがあるとその人のことが嫌いになってしまいます。また、僕は父の怒りを恐れて生きてきたこともあって怒りという感情が大嫌いなのですが、他人が怒っているとその人のことを一瞬で嫌いになってしまいます。メンヘラの方々は怒りを表出することが多いんですよね。文字だったらまだなんとか耐えられることが多いのですが、声だと一発アウトですね。これらの理由によりどんどん嫌いな人が増えてしまいTwitterが嫌になってしまいました。

 

Twitterは僕の居場所でした。僕は現実世界よりもむしろTwitterの中で生きていました。それだけに失望もとても大きなものでした。

 

Twitterの性質

ふぁぼ・リツイート

Twitterにはふぁぼやリツイートなどの機能があります。面白いツイートや共感を集めるツイートをするとたくさんのふぁぼやリツイートをもらうことができます。自分のツイートをたくさんの人に見てもらえる上にふぁぼやリツイートをもらえるのですから、承認欲求が満たされることは間違いないでしょう。

 

ふぁぼやリツイートをもらうためにツイートをするわけではありませんが、それらがもらえればもらえるほど嬉しいのも確かです。できるだけウケがいいようなツイートをするために努力してみたり、承認欲求を満たすために自分の内面をどんどんさらけ出してみたりしました。やがて歯止めが効かなくなって思考したことを何でもかんでもツイートしたり、ツイートするために考えごとをするようになってしまいました。いま考えると、自分でも異常だったように思います。Twitterをしなければならない呪いにかかっていたようです。

 

フォロー・アンフォロー・ミュート・ブロック

Twitterにはもう一つ厄介な機能があります。人間関係を0か1かで管理するというものです。細かいことを気にしないで言えば、「フォローする」か「フォローしないか」の二つに人間関係が集約されてしまうのです。ここが現実世界の人間関係とは大きく異なるところです。

 

それまでフォローされていた人にアンフォローされたりブロックされるとかなり落ち込みます。僕のツイートを見たくないということを明確に宣言されたようなものですから。もしかしたら別の理由があるのかもしれませんが、こちらからそんなことはわかりませんしね。こちらとしては嫌われてしまったのだろうと思わざるを得ません。

 

Twitterでは現実世界のように人との交流を徐々に減らしていくことができません。フォローするかしないかの二択です。アンフォローされればフォロワー数が減りますし、アプリを使えば誰がアンフォローしたのかわかります。現実世界で「私はあなたのことが嫌いです」と言って相手から離れていく人はまずいないでしょうが、Twitterだと似たようなことが割りと簡単にそして頻繁に起こります。自分が嫌われたことが明確にわかると結構つらいものです。

 

Twitterは0か1かの人間関係と書きましたが、ミュートという機能を使うことで0.5の人間関係を作ることもできます。嫌いな人間がいてもフォローしている限りはTLにその人のツイートが表示され続けますが、ミュートを使用するとその人をフォローしたままツイートを非表示にすることができます。僕は嫌いな人間がフォロー欄やフォロワー欄に残っていることに耐えられないのでブロックしてしまいますが、ミュートを使う人もいます。

 

アンフォローやブロックは嫌われたことが明確にわかりますが、ミュートを使われると自分が嫌われていることがわかりません。状態としてはあくまでフォローされているということになりますが、はたしてその人たちが僕のツイートを見ているかどうかはわからないんですね。となると、僕はどうしても疑心暗鬼にならざるを得ません。誰も信じることができなくなってしまいました。過去にaskで攻撃されたこともありましたし。その人たちは僕のことを嫌いでありながらミュートすらしないのですから恐ろしいものです。嫌いな人間のツイートを見続ける神経もわからないから余計に恐ろしい。リア友も含め誰に好かれていて誰に嫌われているのかがまったくわからなくなってしまった。

 

TL

Twitterはユーザー同士のつながりがゆるくコミュニケーションに必死にならなくてよいという特徴があるように感じていたのですが、自分のツイートがいろんな人に見られることを考えるとその人たちへの配慮をしなければならず、書きたいことを書くということが難しくなります。僕の場合はリア友とメンヘラの方々の両方に気を使ってツイートしなければならなくなってしまいました。特にメンヘラの方々の中にはいろんな人がいるのでうっかりツイートをすると何人もの人を攻撃してしまうことになりかねません。気楽なはずのTwitterがコミュニケーションに縛られて全然気楽ではなくなってしまいました。人に見られることや人間関係を意識すると心が休まらないんですよね。そういうのに疲れてしまいました。

 

メンヘラの方々のツイートが僕へのdisだったりすることもありましたね。ミサンドリーなツイートをされると男の一人としては凹みますし、僕のツイートをリツイートして批判されたり、僕へのエアリプではないけれども僕のツイートを受けてそれを否定するようなことを言われたり。その人は自分に言い聞かせたり、誰に向かって言うでもなくツイートしていたようですが、誰に向かって言っているのかわかりにくかったので僕へのdisに見えてしまったりとか。自分の意見や存在が否定されるのはこの世の中では当たり前にあることですが、メンヘラで心が弱りきっている僕には耐えられませんでした。

 

望んでもいないアドバイスや前向きな励ましをもらうこともありましたが、これらは完全に迷惑でしかありませんでしたね。何もわからないくせに自分の価値観を押し付けるな、と思いました。

 

 現在

Twitterをやめたと書きましたが、実際にはちょいちょい見ています。でも、以前のようにすべてのツイートを追いかけることはなくなりました。特に見たい人のツイートだけ追いかけて、後は時々TLを眺めるくらいです。

 

今後Twitterをどのように使っていくかはまだわかりません。でも、今はメンヘラの方々との付き合いに疲れてしまったし、リア友のほとんどにはミュートされていたり嫌われているのではないかという疑念から抜け出せないので、しばらくまともにツイートしないような気がします。以前からツイートすることの無意味さや虚しさを感じることが時々ありましたし、Twitterで一生懸命ツイートしても情報量が少なく、すぐに埋もれてしまうので、Twitter自体にたいした価値を見出せなくなりました。今後は書きたいことをブログに書いてブログの更新通知をツイートするくらいの使い方になるかもしれません。ブログだったら内容がちゃんと残るし、検索エンジンから飛んできた人のためにもなるかなって。人の目を気にしなくていいから好き勝手書けますしね。

 

Twitterをやめてみてわかったこと

 Twitterの中から抜け出て現実世界に生きてみるとTwitterがいかに価値のないものであるかがわかりました。もちろん僕にとっての話です。みなさんにとっても価値のないものであると言いたいわけではありません。

 

Twitterでは1ツイート当たりの情報量が少なく、すぐに過去に流れていってしまいます。Twitterは究極のフローコンテンツですね。刻々と新しいツイートが生成されて古いものは忘れ去られます。次から次へと流れてくる消化のしやすい情報を消費していくだけ。記憶に残るツイートはほとんどありません。大きく感情を揺さぶるようなツイートもほとんどありません。一つ一つのツイートの価値はとても低いのです。実際、Twitterから離れてみてツイートを見なくなっても何ともありません。むしろTLに追いつかなくてはならないという強迫観念から解放されて楽になったくらいです。見るに値するツイートってのはほとんどありません。

 

価値のある情報を残しておいて他人の役に立つという観点からするとTwitterはその役割を果たすのには適していません。検索エンジンからツイートに飛ぶことはまずありませんし、Twitter検索からツイートに飛んでもまとまった情報が得られません。ほんのちょっとしたことを調べるだけならTwitterで充分なこともありますし、検索エンジンよりもTwitterの方が役に立つような調べごともありますが、価値のある情報は大抵Twitterにはありません。せっかく思考を文字として残すならブログの方がたくさんの人の役に立つでしょう。その分だけ価値も高まるように思います。

 

Twitterに情報量やそれに由来する価値を求めるのはお門違いですが、Twitterにコミュニケーションを求めなくなったいま、そうした価値のなさが際立って見えるようになりました。Twitterにへばりついてツイートを消費していても何も楽しくありません。それどころかエネルギーをどんどん吸われていきます。ちょっと時間が空くとTwitterを開く。TLに追いついてTwitterを閉じる。またしばらくしてTLを追う作業。こんなことの繰り返しではまとまった時間が取れないのでまとまった作業などができません。まとまった作業ができないとフロー状態に入ることもできませんし、達成感や充実感などの大きな報酬を得ることもできません。Twitterは手軽に時間をつぶせるだけに得られる報酬もごく小さなものです。満足度がすごく低いんですね。時間はどんどん吸われるけど満足度が低いってのはあまりいい状態ではありませんね。Twitterで極小のコンテンツを享受したりフォロワーとコミュニケーションを取ることに大きな価値を感じているのでなければ別のことをした方がよいでしょう。

 

とまあ、こんなことを書いているのはここ数日比較的元気だからですね。本当に調子の悪いときはベッドに転がるかTwitterをするかしかできないものですからね。Twitterをやめた日やその前日は死にたくて仕方なかったのですが、それからは徐々に興味や気力が回復してきました。Twitterをやめた日とその翌日くらいはツイートをしたい、ツイートを見たいという禁断症状を抑えるのが大変でしたが、Twitterから数日離れてみるとそういう欲が落ち着きました。その代わりにブログを書いている感じですね。ブログはまとまった内容を書く必要があるのでTwitterより大変ですが、人間関係を気にしなくていいので気楽でいいです。少し元気にはなりましたが以前より人間が嫌になったのは確かなので。

 

なんだかんだ書きましたが、あくまで僕にとってはこうでしたってことなので、万人に当てはまるとか勧めるとかいうわけではありません。Twitterをやめたら孤独に陥って余計につらくなる人もいるでしょうし、愚痴の吐き出しどころを失う人もいるでしょう。Twitterでもブログでもその内容は一個人のものでしかないのは当然なのですが、僕が万人にとっての真理を語っているつもりになっているように思われるのは嫌なのでどうしてもこういう付け加えをしたくなります。中には本当に自分の考えていることが万人にとっての真理であると思い込んでいる人もいますからね。僕はそんな人間ではないことをアピールしたいのです。

 

僕はTwitterに熱中していた頃、ツイートをするためにネガティブなことを考えまくりました。フォロイーのツイートに触発されてネガティブなことを考えてしまうこともありました。ただ単に調子がいいのかもしれませんが、Twitterを離れてネガティブなことを考えることが少なくなりました。Twitter以外に何かできるだけの気力がある人は一度Twitterから離れてみるのもいいかもしれません。

 

ついでにTwitterの不満点をもう一つ挙げておきます。ツイートを見られたりふぁぼやリツイートをもらったりすることで承認欲求が満たされるのは確かなのですが、所詮はネットの人が相手なのでどこか満たされなさや虚しさが残るんですね。相手の声も姿もわからないし、仲良くなっても遠距離だったら会うことができない。会うことができないとそれ以上仲良くなるのは難しいですし。

 

そんなこんなでTwitterや人間が嫌になったというお話でした。